嫌韓の多様性

また「嫌韓」についての話になりますが、以前のid:kagamiさんとのお話は私の失言と説明能力不足もありまして、物別れのような形になってしまいましたので、もう少し追ってみたいと思います。少し前のエントリになりますが、
2005-09-08
こちらに「嫌韓」に関する記述があるのですが、同意できる部分が多かったので触れてみたいと思います。

一見「嫌韓」と「嫌韓厨」を切り分けているように見えますが、(中略)両者はまったく一緒くたで語られます。

という部分には全く同意できます。東氏はこのあたりをしっかりと分類しなかったことが多くの人の誤解と批判を浴びる原因となっているのだと思います。私が過去に「嫌韓」について考察してきた結果や、「嫌韓」を題材としたサイトを見てきた経験から言っても、「嫌韓」の中には、

  1. 嫌韓」を知ることによって韓国や韓国人に対する関心が高まり、日本と韓国の外交問題について理解を深めようとする人
  2. 嫌韓」を知りはしたが、ネタとしてしか理解せず、韓国や韓国人に対しての理解を深めようとする意思に欠ける人
  3. 嫌韓」を知ったことで、韓国や韓国人をひどく嫌悪し、日本と韓国の外交問題に対して強硬的な路線を採るべきだという人(嫌韓厨?)

といった風に、少なくともこの3つの傾向が見られるように感じます。
東氏は恐らく2や3といった人に向けてあのような文章を書いたのだと思いますが、その2と3の分け方すらはっきりしていないのは確かです。
私はこれまでの記述で3については明確に批判しました。そして東氏の文章に対しても支持する旨を述べましたが、これは東氏の文章が3に対して批判したのものであるとして、できる限り好意的に解釈した結果なので、中立的に見た場合は、先程述べたような解釈となってしまいます。これらのことから考えると、

嫌韓」の側の一番の主張が捉えられていません。むしろそこでは、彌縫的に上っ面だけ合わせて「日韓関係を改善」するような「いかにも嘘くさい」友好的態度が意図的に廃されているのであって、つまりは議論を戦わせて歴史認識の最初から検討し、両者の関係を再構築しようというラジカルに誠実な態度があると私は捉えています。

この部分については、1に対する記述として読むことができますね。1が「嫌韓」における最大勢力なのかはわからないので「一番の主張」なのかは分かりませんが、東氏の文章の中では明らかに1についての考察が欠如しているので、このことが批判対象となってしまうこともよくわかります。で、結局、

「他人の価値観を嗤う」とか「日本人の優位を確認する」とかいう東氏が想像した「嫌韓」の動機じみたものは、「嫌韓」の全範疇を的確に捉えてはいません。もちろんそういう卑小な動機で嫌韓が語られる場合もあるでしょう。しかしその一部を以って全体の批判にすり変えるというのは褒められたものではありません。

この言葉に尽きるわけですね。結局、東氏が語っている部分は2と3に尽きてしまっているので、1に対する考察が全くなされていないのです。そのような文章なので、1などからは批判の対象となってしまうのですね。
私は3について論じているのであれば、という限定付きでなら賛成できると明言できますし、東氏がそういう意図で書いた文章であると信じたいですが、文章自体から受け取れるものとしては、残念ながらそうではないと言わざるを得ませんね。